「自信がない人」は自信の正体を知り、不安との向き合い方をほんの少し変えれば、見える世界が大きく変わる。

自分はダメなやつだ、自分は何をやってもうまくいかないと「思い込んでる」人が多すぎる。

仕事柄、色々な企業のプロジェクトに入って、戦略やPMのお手伝いをしたりして、その一環でメンバーの教育やコーチングなども行なっているが、自分に自信がない、自分はダメなやつだ、自分は何をやってもうまくいかない、そういった自己承認ができずに自分に枠をつけてしまっている人があまりに多くいる。

私も最初は単純に”ダメなやつ”かと思っていた。しかし、コーチングの経験を重ねていくにつれて、どんな人でもとんでもない可能性を持っていて、それを出せる「状態」にないということが確信になった。

自分自身を枠にはめるのは自分。

例えば「仕事がうまくいかない」とか「人間関係が上手にいかない」ということが理由で「自信がない」なっていたりするが、それは間違っている。「自信が先」だ。自信がないから、仕事もうまくいかない、そして自信がないから人間関係もうまくいかないのだ。

ほとんどの場合、自分に枠にはめ込んでしまっているのは、他でもない自分自身だということにまず気が付いて欲しい。

自信があるということとナルシストは違う。

自信があるやつと聞くとなんとなくいけ好かない奴のようなものをイメージする人も少なくない。確かに自信満々でそれを極端に表に出す人は「ナルシスト」と呼ばれ、鼻につくこともあるかもしれない。しかし、自信というのは表に出すものではなく自分自身との関係性の問題なので、自信があるイコールナルシストではない。

「不安」や「恐怖」は単なるサイン。

過去に自分が”できたこと”に対しては「自信」があると言える人は多いかもしれない。しかし、やったことがないことに対しては一気に不安が湧き出てきて「自信がない」となっていく。そして自信がないから「やらない」という選択を取ってしまうのだ。

「不安」や「恐怖」というのは感情であり、感情というのは自動的に発動するものであり、意識的にコントロールすることはできないしする必要もない。これは人間が持っているある種の本能のようなもので、動物が「安全」に「生存」するための機能が発動しているだけに過ぎない。

ただ大事なのはこれらの「感情」をどのように認識し、どのように付き合うかということだ。

感情は単なるサインでしかない、それ以上でも以下でもない。「不安」や「恐怖」はその先に何があるかわからないよということを知らせてくれているサインだ。例えば、舗装された歩道を歩いているときに不安を感じないだろう、しかし、同じ歩いているでも初めて渡る吊り橋を歩いているときは不安や恐怖がやってくる「落ちないかな」「渡りきれるかな」「壊れたりしないかな」というようなどうなるかわからない可能性があるからそういうサインを送ってくれる。

そして面白いのは、同じ吊り橋を何度か渡った経験をした後には、不安や恐怖の感情は発生しない。「この吊り橋は大丈夫だ」という認識をしているからだ。これが自分の安全認識エリアを広げる仕組みだ。

いつまでも不安と恐怖のサインの度に、それを避けていると、いつまで経っても安全認識エリアは広がらない。

コンフォートゾーンを広げられないのは本能のせい。

この安全認識エリアは「コンフォートゾーン」と言われている。このコンフォートゾーンが広がれば広がるほど、できることも増えてくるし、さらにその先にある未知のワクワク・ドキドキする世界への接点が生まれてくる。

このコンフォートゾーン内のことは過去にうまくできたことがあるから「自信がある」そしてコンフォートゾーン外のことはやったことがない未知の領域だから「自信がない」と思いがちだ。これはあなたがダメだからではなく、誰にも備わっている本能のせいなのだ。これを勘違いしないでほしい。

不安や恐怖は誰にでも湧いてくる、それがビルゲイツ氏であろうが、孫正義氏であろうが同じだ。

そして人は変化を嫌う生き物でもある、安心安全な場所に留まろうとするのも同様に本能の機能だ。「ホメオスタシス」という言葉があるこれは恒常性を維持しようとする働きのことで、わかりやすく言うと、体が冷えてくると震えて温めようとし、体があつくなりすぎると汗をかいて冷まそうとするようなものだ。

人は安全圏と認識した所に留まろうとするのはこれまた生存するための本能だと言うことだ。

では、人によって何が違うのかと言うと、その安全圏と認識しているゾーンが違うのだ。成長過程で何度も吊り橋を渡った人はその吊り橋はもはやコンフォートゾーンの中だ、吊り橋の先にある絶景を見ないなんてバカなことだと思うかもしれない、しかし、吊り橋を前に不安や恐怖に立ち止まったり、引き返してしまう人にとっては、吊り橋を渡る人はバカに見えるかもしれない。

これはどちらがいいと言うことを言いたいのではない。安全エリアに留まっていることも、決して悪くない。前者も後者も正しい。

しかし、もしあなたが、今の自分を変えたいと言うのであれば、これから不安や恐怖という単なるサインに対してどのように向き合っていくかを考えてみてほしい。

不安や恐怖との付き合い方を変えてコンフォートゾーンをどんどん広げる。

私たち人間はある程度秩序の保たれた社会の中で生きている。ジャングルでいつライオンに襲われるかというような食うか喰われるかの世界に生きていない。しかし持っている本能はそういった背景は関係ない、あくまでも動物が生存していくために必要なものとして存在している。

もし、その本能がなければ、高層ビルの屋上から下を見たときに、恐怖を感じなければ、そのままポーンと飛び降りてしまうかもしれない。そう言う意味でも大切な本能だ。

前述したように、私たちはそこまで危険なところに生きているわけではない、しかし本能は無意識のうちに動き続けている。

あなたがやったことがない大きな仕事を任されると言う話が出たら、やはりその本能は機能して「不安」が湧き上がってくるかもしれない。しかしそれは、ジェットコースターに乗る前にソワソワが発動しているのと何も変わらない、しっかり準備をして望めば、その先にはまた新しい世界が広がる。不安や恐怖はその先に大きな可能性があるということのサインでもあるのだ。

コンフォートゾーンから出ることをコンフォートゾーンに入れる。

初めて吊り橋を渡る人と吊り橋を何度も渡っている人は、コンフォートゾーンの外にその吊り橋があるか、すでにその中にあるかの違いに過ぎない。

あの人はいつも自信があって、なんでもできるという風にあなたが思う人は、単にあなたよりもコンフォートゾーンが広いだけに過ぎない。誰だって安全だと感じている枠の中でなら自信をもってできる。

そして、コンフォートゾーンが広い人の最大の特徴としては、「コンフォートゾーンの外に出ることがすでにコンフォートゾーンの中にある。」ということだ。

何度も何度も枠の外に出るという経験をしているからこそ、そこには大したリスクがないし、仮に怪我をしたとしてもその怪我は次に生きるということを知っているのだ。

枠の中のことなら自信をもってできる、枠の外に出ることすらが枠の中にあれば、もう無敵だ。どんどん枠が広がっていく、そしてどんどん自信をもってできることが増えていく。

小さなことでもいいから枠の外に出てみよう。

不安というサインが出ている扉を開けてみよう、そこには失敗があるかもしれない、開けたらまた別の扉があるかもしれない、見たこともない世界が広がっているかもしれない。

本能は無意識だから意識的にコントロールすることはできない、しかし、そのサインが見えた時の行動は意識的にコントロールすることができる。

最初は枠を出るのは怖いかもしれない、しかし、吊り橋と同じだ、何度も何度も渡っていれば、もはやその枠の中にいることがあほくさくなる。

最後に私の好きな言葉をプレゼントしたい。私も慎重に慎重を重ねるビビリだったから、何度もこの言葉に勇気付けられたか。

「不安は恐怖は最初の一歩を踏み出すまでしか感じない、不安や恐怖は外にあるのではなく、君の頭の中だけにある。」 

 

古澤慎之介
古澤慎之介プロデューサー・編集長

ULL編集長、マーケティングのノウハウと、エネルギーマネジメントを武器に、組織課題の発見と解決プランの策定、さらには実行する際のチームビルドと人材育成までを支援。
“日本にもっと「イイ顔」している人を増やしたい“という想いのもと、広告会社、エンタテインメント会社での経験を経てマーケティングディレクターとして独立。マーケティング課題の発見と、ソリューションの提案だけでなく、実行できるようメンバーの育成、チームビルディングまで行う。自身の実践的な体験からエネルギーマネジメントという独自の人材育成の理論とコーチングの手法で、人のポテンシャルを最大化し組織の本当の力を引き出す。

一般社団法人グローバルリーダーシップコーチング協会(GLC)の立ち上げで出会った藤井義彦氏と世界で活躍する講演家のジムバグノーラ博士をメンターとして師事、2018年、ジムバグノーラ博士より「PhB・マスター・プラクティショナー」として認定される。


【活動領域】
●マーケティング戦略 ●組織変革・チームビルディング ●パーソナルブランディング ●コーチング ●PhBマスタープラクティショナー ●クレイセラピー(国際クレイセラピー協会認定クレイセラピスト) ●エネルギーマネジメント