「自信」がある人とない人の決定的な違いと、「根拠のない自信」のつけ方。

 上司から今までにやったことのない案件や、今の自分の力量に対して、少し荷が重い案件を頼まれた時、あなたはどのような感覚になるでしょうか。ワクワクして、二つ返事で「やります!」と言える人もいるでしょう、不安が襲ってきて、二の足を踏んでしまうという人もいるかもしれません。

 前者は「自信」があるように感じますし、後者は「自信」がないように感じます。条件は同じなのに、何がこの「自信」の差になってくるのでしょうか。このケースで自信がない人でも、あらゆることに自信がないわけではありません。過去に何度もやってきたことなど、経験したことがあるものの場合は自信を持って「できる!」と思うはずです。

 子供の頃に、初めて自転車の補助輪を外して乗る練習をした時のことを思い出してください。不安で仕方なかったはずです。しかし、一度乗れるようになったら、自転車に乗るのに、いちいち恐怖心や不安な感情は湧いてきません。

 人は経験したことがある事、特に、うまくできた事に対しては「安全だ」「大丈夫だ」と認識します。このように経験したことがあること、うまくできた経験のあることであれば、誰でも自信を持ってできるわけです。これがいわゆるコンフォートゾーン(不安にならない行動範囲、安全圏)と言われるものです。

成長過程で広がるコンフォートゾーン、しかし・・・

 私たちは、この世に生まれ落ちてから、歳を重ねるにつれて、様々な経験をして成長していきます。赤ちゃんにとっては、二本の足で歩くのも新しい体験です。子供の頃は生きてるだけで次から次へと新しい経験がやってきます。その多くは失敗するリスクが伴いますが、それを乗り越えて、できることがどんどん増えていきます。

 しかし、コンフォートゾーンが広がるのと反比例して、新しい経験は減っていきます。子供の頃と、大人になってからでは、新しい体験の数は圧倒的に違います。社会人5年目くらいまでは、何かと新しい経験がやってきますが、それ以降は、避けて通ろうと思えば、いくらでも避けて通れます。そうすると、安全で居られる代わりに、コンフォートゾーンの広がりが止まってしまうわけです。

 子供の時には次々とコンフォートゾーンの外側に出ていく(出ざるを得ない)ので、どんどん成長していきます、しかし大人になってコンフォートゾーンの内側の安全圏の中に居続けてしまうということは、成長が止まるということとイコールなのです。

自信がある人とない人の決定的な違い。

 ここで「自信」の話に戻りますが、コンフォートゾーンの内側のことであれは、私たちは「自信」を持ってできるわけです。しかし、冒頭の例のように、新しい経験に対峙した時には、どんな人にでも「不安」という感情がやってきます。

 コンフォートゾーンの外側に対峙した時に「不安」の感情が湧いてくるのは、人間の本能です。そして感情というのは、どのような感情でも単なるサインです。このシーンで出てくる「不安」という感情は、この先は“コンフォートゾーンの外ですよ”というサインにすぎません。

 やったことがないこと等に対峙したときに自信を持って「やります!」と言える人と、二の足を踏んでしまう人の決定的な違いの一つは、この「不安」という感情に対しての意味づけの違いです。

 自信を持って「やります!」と言える人は、このコンフォートゾーンから出れば成長して、さらに自分の自由空間が広がるという意味をつけています。

 一方で、二の足を踏んでしまう人は、コンフォートゾーンの外側に出ると嫌なことが起こるかもしれないという意味をつけています。

 多くの人は、大人になるまでの間に、様々な初体験を通じて、リスクテイクして、たくさんの失敗をしたり、痛い思いをしたことも一度や二度とではないはずです。先ほどの自転車の例で言えば、補助輪を外せば、最初はなんども転びます。転んで擦り傷ができたり、痛い思いをするかもしれません、そう言うリスクはコンフォートゾーンの外側に行こうとすると常に付きまといます。

 数々のチャレンジの結果、後者の人は、新しいチャレンジは失敗したら痛い目にあう。ということに意識が向いてしまい、不安というサインに対して避けられるなら避けたいと考えて、今の枠の中に留まることを選択するのです。

 しかし、あなたがチャレンジした末に、自転車というツールを手に入れた時に、あなたの自由に行き来できる世界は広がったわけです。そして、更に成長して今度は自動車に乗るようになれば、その世界は更に広がるわけです。

 自信を持って「やります!」と言える人は自分の世界が広がるという方にフォーカスをしています。ですから不安というサインに対して、ラッキー・ワクワクという感覚になり、今の枠の外に出ることを選択します。

「やるリスク」と「やらないリスク」

 多くの人は、不安というサインに対して、避けて通ろうとします。これは自然なことですが、一つ考えてみてほしいわけです。そのリスクは本当にリスクでしょうか。目の前の不安を回避したいだけではないでしょうか。

 そしてもう一つ「やらないリスク」についても考えてみてください。やらなかった時の未来のリスクです。やった人との差はどのくらいつくでしょうか、その差はどのような側面に影響してくるでしょうか。前述したように、コンフォートゾーンの外に出ないということは「成長しない」ということになります。「自分の自在にできる世界が広がらない」ということにもなります。

 コンフォートゾーンから出るリスクは、直近に影響があるかもしれないというリスクです。逆にコンフォートゾーンから出ないリスクは、すぐに影響はない未来の自分に対するリスクなわけです。

 自転車に乗る練習をする前に、怪我しそうだから、うまくできなそうだからと、辞めてしまえば、その時はなんのリスクもなく過ごせるかもしれません。しかし、それと同時に未来の可能性をたくさん失うというリスクを取ったということになるわけです。

そのリスク、本当にリスクでしょうか?

 リスクを避けたいなと思ったときに、よく考えてほしいもう一つのポイントは「それは本当にリスクなのか」ということです。コンフォートゾーンから出ることで、転んだり、うまくいかなくてイライラしたりするかもしれませんが、自転車に当たり前のように乗れるようになった自分からすると、その時の怪我や失敗がいかに大したものではないということがわかると思います。

 まさに、かすり傷程度のことです。後から考えたら、そのかすり傷を負う程度のリスクは、はっきり言ってリスクでもなんでもないわけです。

 うまくできずに、上司に怒られたりするかもしれませんし、時にバカにされることもあるかもしれません。しかし、できるようになった未来から考えたら、そんなことはただの笑い話です。

 今の自分には大きなリスクに思えるかもしれませんが、後から考えると大したリスクではない場合がほとんどです。

やったことがあるから「自信がある」のではない。

 何かと二の足を踏んでしまう人のいう自信は、そのこと自体に対しての「やったことがあるからできる、自信がある」「やったことがない、だからできるかどうかわからない、自信がない」となる。しかし、やったことがないことに対峙したときに自信を持って「やるぞ!」と言える人も同様にそのことに対しての経験はないわけで、そこに「できる根拠」があるわけではありません。

 では、彼らの「根拠のない自信」はどこからくるのでしょうか。

 それは、「できるかわからないけど、やってみたらなんとかなったという経験」や「失敗しても、結果的に大した傷ではなかったとう経験」から来ているのです。

 つまり、彼らの自信の拠り所は、経験したことがない事をやってみたという経験値の量です。これに尽きます。何度もコンフォートゾーンを出てみたけれど、結果として何とかできているし、怪我をしたとしても大したことないという経験を根拠に、コンフォートゾーンから出ることに大したリスクがないことを知っているのです。

出れば出るほど、楽に出れるようになるわけです、自転車に乗れば乗るほど上手に乗れるようになるし、それが一定値を越えれば、もはや、リスクすら感じない。だからこそ二つ返事で「やります!」と言えちゃうわけです。そしてやればやるほど、目先のリスクはリスクでなくなり、やらなかったら今はないなと思えるわけですから、やらないことの方がリスクがあるという思考になっていきます。

やればやるほど、やらない人との差はついていく。

 ここまでくると、もうやらないことのリスクこそ避けるべきであり、どんどんコンフォートゾーンを出ていくようになる。前述したように社会人5年目くらいになれば、もはやそこまでのコンフォートゾーンの中だけで生きようと思えばそれもできなくはない。だからリスクテイクしない人はとことんやらなくなるし、やる人は当たり前のようにリスクテイクするようになる。

 結果として、コンフォートゾーンの大きさは、どんどん差がついていく。コンフォートゾーンを広げれば広げるほど、色々な意味での自由度が増していく。これからますます格差社会になっていく中で、どれだけ目先のリスクに翻弄されずにリスクテイクしていけるかは何よりも重要なことになるだろう。

 もし、あなたが、何かと二の足を踏むタイプだとしたら、その不安の一歩先には何があるのか、そして不安を避けた未来には何があるのかをよく考えて行動してみてはいかがだろうか。


あとがき

 様々なプロジェクトを通じて人材の育成やコーチングをしていると、多くの人が自分の領域から出るのが怖いというのがわかる。やったことがあることの中だけで生きていると確かに居心地が良いが、そこに居続けていてはやはり成長がない。いわゆる「ぬるま湯」というやつだ。

 ある程度リスクを取ってでも、その枠を出て行こう。慣れてくると「不安」や「恐怖」は単なる成長の扉であると思うだけになる。成長の扉の先は最初は居心地が悪いかもしれない、時には怪我をすることもあるかもしれない。しかし、それが当たり前になると、そこは自分のエリアになる。住み慣れた街みたいなものだ。どんどん扉を開けて、住み慣れたエリアを広げていこう。不安を見つけたらラッキーくらいの感覚になるともう何も怖くない。

 わかっていても行動できない「心理的なブレーキ」はどんな人にでもある。コーチング等でそのブレーキを一つずつ外していくこともできるが、一番大事なのは「一歩踏み出してやってみて、大丈夫だった経験」の量だ。結果が成功だろうが失敗だろうが関係ない、踏み出して失敗したけど、致命傷にはならないということを積み重ねていくしかない。転んでも転んでもチャレンジした自転車の練習のように。

 子供が初めて自転車に乗った時に、転んで拗ねてしまった時に、それを見てバカにする人は居ないだろう、あなたなら何と声をかけるだろうか。「大丈夫だよ」「最初はみんな上手く乗れないんだよ」「すぐにできるようになるよ」と声をかけるのではないだろうか。

 自信というのは自分を信じると書く、どんなことでもやればできる、できなくても大丈夫、それを糧に必ずできるようになる。と自分を信じてあげることが「自信」なのだ。

古澤慎之介
古澤慎之介プロデューサー・編集長

ULL編集長、マーケティングのノウハウと、エネルギーマネジメントを武器に、組織課題の発見と解決プランの策定、さらには実行する際のチームビルドと人材育成までを支援。
“日本にもっと「イイ顔」している人を増やしたい“という想いのもと、広告会社、エンタテインメント会社での経験を経てマーケティングディレクターとして独立。マーケティング課題の発見と、ソリューションの提案だけでなく、実行できるようメンバーの育成、チームビルディングまで行う。自身の実践的な体験からエネルギーマネジメントという独自の人材育成の理論とコーチングの手法で、人のポテンシャルを最大化し組織の本当の力を引き出す。

一般社団法人グローバルリーダーシップコーチング協会(GLC)の立ち上げで出会った藤井義彦氏と世界で活躍する講演家のジムバグノーラ博士をメンターとして師事、2018年、ジムバグノーラ博士より「PhB・マスター・プラクティショナー」として認定される。


【活動領域】
●マーケティング戦略 ●組織変革・チームビルディング ●パーソナルブランディング ●コーチング ●PhBマスタープラクティショナー ●クレイセラピー(国際クレイセラピー協会認定クレイセラピスト) ●エネルギーマネジメント