多様化社会で「自分らしく」生きるための3つのマインドセット。
これからの多様化社会は私たちがより「自分らしさ」を持って生きることができやすい社会になってきてい...
友人からの勧めもあり、映画「グリーンブック」を観てきました。実話に基づく話で、作品自体とても面白く色々と感動させられ、最近の映画の中ではかなりお勧めです。
ネタバレしない程度の簡単なあらすじとしては、1962年、人種差別が根強く残る時代、主人公の粗野で無教養なイタリア系用心棒トニーリップが失業を機に、黒人天才ピアニストのドクターシャーリーのツアー運転手として雇われ、何もかもが反対のふたりが、黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに差別がきつく、黒人にとって危険が多い南部へのツアー旅立つ。
1960年代アメリカの人種差別を題材にした実話に基づいた映画だ。白人が悪者に描かれているとアメリカでは賛否もあるようだが、色々と考えさせられる映画だった。「人種差別」このテーマは、私たちの身近にも存在するように感じた。人種差別ではなく「違い差別」だ。
映画の中では、全く違う価値観や立場の違う二人が、人種差別の激しい南部地域のツアーのなかで、お互いの価値観が徐々に、共鳴していく様がかかれている。
2019年5月に平成の時代は終わり、令和時代に入る。社会の流れを見ていても様々なことに対して価値観の多様性はますます加速していくのは間違いない。経済がグイグイと伸びていた成長期の日本では、ある程度の正解が示されてきた。いい大学に入りいい会社に入って、40歳になったらマイホームなんて価値観がまさにそれだ。それが正解の時はそれで良かったが、今は選択肢はそれだけじゃない。いい大学に入って、いい会社に入って、気がついたら、都合のいい歯車になって疲弊している人も少なくない。
働き方という側面で言えば、インターネットの登場以降、働き方は一気に幅が広がった。昨今、企業ではダイバーシティやら働き方革命やらと言って働き方改革を進めているところも多いが、どうも制度先行であることが否めない。いくら制度を整えても、古いOSを搭載している個人の意識改革が進まなければあまり意味をなさない。
今はパソコン1つでどこにいても仕事ができる。スマホがあればパソコンすらいらないかもしれない。スキルを活かして起業するのも、フリーで仕事をするのも、昔に比べたら簡単になった。在庫も持たずオフィスもいらず小資本で始められるビジネスも山ほどある。家を持たずに地方を転々としながら稼ぐエンジニアや、半年だけ働いて、半年は世界を旅してる人もいる。会社と従業員の関係も今後かなり変わっていくと確信している。
働き方だけでなく、結婚の形、幸せの形、生活の仕方も人それぞれだ。過去の正解は今では正解でもなんでもない。「そろそろいい歳なんだから結婚して云々」といっている人もいるが、その人が生きた時代と今の社会を考えたら、そんな古い価値観に影響され縛られていたら誰の人生なのだかわからなくなる。
まさに自由な時代が今ここにある。組織の内外で自分の可能性を存分に活かし、自分の人生をデザインしていける良い時代になってきている。
しかし、そんな自由すぎる社会のなかで、価値観の多様化に順応していけない人にとっては、かなり生きにくい社会に感じるはずだ。「違い」が共存するためには違いを価値と認め尊重するマインドが不可欠だ。戦後から長い間、経済が成長してきた中では、一つの正解を辿っていけばなんとかなった。みんなと同じことをしていれば良かった、そういう社会の中でみんなと違うことをしていると「異端児」「はみ出し者」「変わってる」という扱われ方をした。
島国だからなのか、村社会的なコミュニティが多いからなのか、日本の中にも小さな差別が横行している。これは、多様性が共創していく時代にはナンセンスなのではないだろうか。
日本は島国であるがゆえなのか「違い」に対して寛容でないところがある。単純に、慣れていないのかもしれない。また、長い間”常識””当たり前””良し”とされていたことが、今となっては単なる選択肢の一つになっている。前述したように、働き方や、幸せの定義だけでなく、これからさらに外国人も増えてくる中では宗教観や生活習慣の違いなど、様々な価値観がもっと入り混じるのが当たり前になってくる。
違いの共存するべき社会の中で、一つの価値観が「正解」であるかのような思考に囚われていると、自分自身を肯定し保持するために、違いを批判したり、同じ価値観の人とのコミュニティをつくり排他的になってしまうことがある。わかりやすい例で言えば「よくないママ友」の派閥みたいなもんで、常に誰かの悪口を言って謎の安心感に浸るみたいなものだ。
もちろんそれも一つの選択肢ではあるので、いいとは思うのだが、この自由でなんでもできる社会の中で、自分の可能性を一つの枠の中で閉ざしてしまい、常に誰かに対するネガティブな感情を伴って生きることは何か勿体なく感じる。
人は自分を正当化するために、誰かを叩くことがある。これは自分はOKだ、大丈夫なんだと思うために、それを自分の外側にある人やものを使って証明しようとする行為とも言える。
いじめや会社や地域の小さなコミュニティ内でもよく起こるマウンティングと呼ばれるものはまさにこれに当たる。しかしこれで満足できるのはその一瞬だけで、まさに焼け石に水といったところ。結局また自分はOKではないのではないかという不安が襲ってきます。だからまた外側に意識を向けて安心しようとするのです。
自分で自分を承認できないと、人は様々なことを通して自分がOKであるということを証明しようとします。SNS依存、恋愛セックス依存、仕事依存なんかもそれにあたりますし、立場の弱い相手に対して無駄に偉そうにしたりするのも自己承認できていないからなのです。外側を使って自己がOKだと証明しても内側はいつまでたっても満たされません。
以前こちらの記事【自己肯定のススメ、思い込みを捨て自分にOKを出せると毎日が激変する。】でもお伝えしましたが、自分自身にOKが出せるようになると、もはや他人と比較する必要もないですし、とても楽になります。
自己承認ができるようになれば、他人の違いを受け入れるのは難しいことではありません。相手に共感する必要はありませんし、同意する必要もありません、一緒にビジネスをする必要もありません、ただ単にそういう見方もあるねと受け止め、その上で自分はそれを選択しなくてもいいのです。否定する必要もありません。
他の記事内でも何度も「相互尊重が多様化時代の基本姿勢」とお伝えしていますが、相互尊重が当たり前の社会の中では個性はより輝きを増し、より調和の取れた社会になっていくと確信しています。
”なんでもOKで無限の自由な社会”だからこそ、倫理観は大切です。自由とは自分勝手とはまた違います。倫理観という言葉を使いましたが、そんな堅苦しく考える必要もありませんし、聖人君子になる必要もありません。もっとシンプルです。
全ての基準は自分の「心地よさ」です。人を傷つけてまで自分の好きなことをやったとしても決して「心地よさ」は得られません。自分が「心地よい」と感じるかどうかのナビゲーターを信じて進んでいれば、それは間違った道を通っていないということです。
おいおい、映画「グリーンブック」の話はどこいったんだよ!と思った方もいらっしゃるかもれません。せっかくの良作をネタバレするつもりはありません、この記事をここまで読まれた方なら、きっとこの映画から素晴らしい気づきを得られる映画になるのではないかなと思っています。
粗野で無教養なイタリア系アメリカ人のトニーリップと黒人天才ピアニストのドクターシャーリー、価値観の全く合わない二人が、出会い、ツアートリップを通じて徐々にお互いの価値観の枠が外れ魂が触れ合っていく様は、まさにこれからの多様化時代を生きる私たち日本人に何か大切なものを教えてくれてる。是非、映画館に足を運んでみてください。
ULL編集長、マーケティングのノウハウと、エネルギーマネジメントを武器に、組織課題の発見と解決プランの策定、さらには実行する際のチームビルドと人材育成までを支援。
“日本にもっと「イイ顔」している人を増やしたい“という想いのもと、広告会社、エンタテインメント会社での経験を経てマーケティングディレクターとして独立。マーケティング課題の発見と、ソリューションの提案だけでなく、実行できるようメンバーの育成、チームビルディングまで行う。自身の実践的な体験からエネルギーマネジメントという独自の人材育成の理論とコーチングの手法で、人のポテンシャルを最大化し組織の本当の力を引き出す。
一般社団法人グローバルリーダーシップコーチング協会(GLC)の立ち上げで出会った藤井義彦氏と世界で活躍する講演家のジムバグノーラ博士をメンターとして師事、2018年、ジムバグノーラ博士より「PhB・マスター・プラクティショナー」として認定される。
【活動領域】
●マーケティング戦略 ●組織変革・チームビルディング ●パーソナルブランディング ●コーチング ●PhBマスタープラクティショナー ●クレイセラピー(国際クレイセラピー協会認定クレイセラピスト) ●エネルギーマネジメント